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最高裁判所第三小法廷 昭和23年(オ)11号 判決 1948年6月15日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告理由は添附別紙に記載のとおりである。

上告理由第一点について。

所論の点に関する原審の見解は相当であるから、これと反対の意見を主張する論旨は採用し難い。(大体原審の説明でいいのであるが、なお論旨の如く解するものとすれば、この法規は、事情を知らないで委任をした当事者本人に非常な迷惑を及ぼすものとなるであろう。)

同第二点について。

期間を定めてある行為を為すべきことが命ぜられ且つその期間が徒過せられた場合、何等の規定も無ければ、懈怠の効果は当然発生し、期間経過後は有効にその行為を為すことを得ざるに至るを原則とする。この原則を起訴命令の場合に当てはめて見れば(本訴の提起そのものを許さざるに至るものでないことは勿論だが。)、期間後に本訴を提起してもそれにより仮差押の取消を免れることは出来ないことになるわけである。しかし、起訴命令に付ては民事訴訟法に特に「此期間ヲ徒過シタル後ハ債務者ノ申立ニ因リ終局判決ヲ以テ仮差押ヲ取消ス可シ」という規定があるし、本来起訴命令は、債権者が仮差押をした侭何時迄も本訴の提起を為さず、そのため仮差押が際限なく継続することの不利益から債務者を救うことを目的とするもので、債権者をして速に本訴を提起せしめ、その発展によつて何れにせよ仮差押という仮の状態に結末をつけようとするものである。つまり本訴を提起させることを主眼とするものであつて、仮差押を取消すことを主眼とするものではない。これ等のことを合せ考えるときは、起訴命令の期間は、冒頭記載のような絶対的のものと解すべきでなく、多少とも猶予的性質のものと解するを相当とする。これは従来大審院の判例とするところであつて(大正九年(オ)第三四五号同年五月一二日言渡及び昭和九年(オ)第一四七六号昭和一〇年一月二五日言渡大審院判決参照)、ここ迄のところは論旨においても異論はないようである。しからば何時迄猶予を認むべきであるか、この点について論旨は第一審口頭弁論終結迄と解せんとするのである。しかしこれに関して何等の規定もない我が国法においては、第一審と解すべき根拠は何もない。固より懈怠の効果という方面から見れば、そう何時迄もべんべんと延ばしていいものでないことは勿論である。しかし、それだからといつて「第一審迄」ということはどこからも出て来ないのでそう解せんとしてもその拠り処がない。その他どこ迄という境をつけるべき法文上の根拠は何もない。そうなると民事訴訟法の通常の理論に従い判決が確定しない限り第二審口頭弁論に於ても仮差押取消を免るべき原因として本訴提起の事実が主張され得るものと見るの外ない。これは少しく懈怠の効果ということを無視する嫌が無いではないが、この種の訴において審理すべき事項は唯本訴の提起が有つたか否かという極めて簡単な事だけであるから、所論のように第一審迄と解するに比し大して延びることはない筈である。それ故それでいいのではあるまいか。何等根拠もないのに無理に第一審迄と解しなければならないとは思えないし、又そう解して仮差押を取消してみたところで、本訴が提起せられた以上債権者は更に再び仮差押をすることも出来るから、大した実益も無いであろう。(なお仮差押取消の申立ある迄とする見方も考えられないではないが、これでは期間の徒過により絶対的効果を生ずるものとするのと余り違わないことになり、猶予性のあるものと解する趣旨は殆ど没却せられることとなるので、賛成できない。)以上の理由によつて論旨は採用することができない。

よつて民事訴訟法第四〇一条、第九五条及び第八九条により主文の如く判決する。

以上は裁判官全員一致の意見である。

(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上 登 裁判官 庄野理一 裁判官 河村又介)

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